救急救命士として現場で活動する際、技術や知識だけでなく、「生命倫理」に基づいた判断力も求められます。生命倫理とは、医療や生命科学の進歩に伴い発生する倫理的課題について考える学問です。緊急現場では時間的制約があり、患者の意思が確認できないことも多いため、倫理的判断が医療の質に直結します。ここでは、救急救命士が押さえておくべき生命倫理の基本原則と、現場で直面する具体的な課題について解説します。
1. 生命倫理の4原則
生命倫理の基本には、以下の4つの原則があります。救急救命士の判断指針としても非常に重要です。
① 自律尊重の原則(Autonomy)
患者自身の意思を尊重することです。患者の自己決定権を守ることは基本ですが、救急現場では意識不明の患者も多く、事前の意思確認が困難です。そのため、事前指示書(リビングウィル)や家族の意向を参考にすることが必要です。
例:心肺停止状態の患者が過去に「蘇生拒否(DNAR)」を希望していた場合、正式な書面があれば蘇生を控える判断が可能です。しかし、家族の意向が分かれる場合には、救急救命士として最善の対応を考える必要があります。
② 善行の原則(Beneficence)
患者の利益を最大化することを意図した行為です。救急救命士は、患者の命を救うために最善の行動を取りますが、すべての処置が必ずしも患者にとって有益とは限りません。
例:心肺停止で輸血が必要なケースでは、医療側は輸血を行いたいと考えますが、宗教上の理由で家族が拒否することもあります。この場合、救急救命士は家族と連携し、オンラインで医師の指示を仰ぐなど、適切な判断が求められます。
③ 無危害の原則(Non-maleficence)
医療行為によって患者に害を及ぼさないことです。救急救命士は、自己の技量を超えた処置や適応外の処置を避け、患者の安全を最優先に考えます。
例:過剰な酸素投与や適応外の薬剤使用は、意図せず患者に害を及ぼす可能性があるため、注意が必要です。
④ 正義の原則(Justice)
医療資源を公平に分配することです。大規模災害時のトリアージでは、個々の患者の利益だけでなく、社会全体の利益も考慮する必要があります。
例:災害現場で多数の負傷者がいる場合、救命可能性の高い患者を優先する判断が求められます。これは「公平性」を重視した判断です。
2. 救急救命士が直面する生命倫理の課題
ケース①:DNAR(蘇生拒否)対応
DNAR指示がある場合、心肺蘇生を行わない判断が求められます。しかし、指示書が不明確であったり、家族の意見が分かれる場合には、救急救命士として判断が難しい場面があります。
対応のポイント
- DNARの正式書面を確認する
- 家族や医療機関と連携して最善の利益を考慮する
- 判断に迷う場合は、オンラインMCなどで医師の助言を仰ぐ
ケース②:本人の意思確認ができない場合
意識不明の患者には、通常の救急処置を適用し、救命を優先します。可能であれば家族や関係者と連絡を取り、方針を調整します。
推定的同意の考え方
救急医療では、患者が明示的に拒否していない場合、救命のための処置を行うことが許容されます。これは「推定的同意(implied consent)」と呼ばれ、救急救命士の判断基準の一つです。
3. 国家試験対策問題(例)
問題:生命倫理の四原則に関する記述のうち、誤っているものを選べ。
A. 自律尊重の原則とは、患者が自らの医療行為を決定する権利を尊重することである。
B. 善行の原則とは、患者に対して最大限の利益を提供することである。
C. 無危害の原則とは、医療従事者が患者の安全を第一に考え、有害な行為を避けることである。
D. 正義の原則とは、治療は常に救急搬送順に提供されるべきである。
解答:D
解説:正義の原則では、治療の順番は公平性や緊急性に基づいて決定されます。救急搬送順に治療を行うとは限らず、トリアージの判断が必要です。
4. まとめ
救急救命士に求められるのは、単なる技術力だけではありません。患者の権利を尊重し、最善の利益を考えた判断力が重要です。現場では時間的制約や情報不足があるため、生命倫理の原則を理解しておくことは不可欠です。国家試験でも出題される分野であり、日頃から症例を想定して倫理的判断の練習をすることをおすすめします。
